騎士団長の愛称① 第一騎士団長ルカウス・アルバヴィルガ・カノーヴァ






「あ」
「あ」
「あ」
 三者三様のトーンながら、同じ単語を発声して固まること数秒。
 リシャールは、自分が持っているのと同じ包みを持つ二人――近衛騎士長であるゼディアと、真騎士アランと目が合った。
 ここは第一騎士団の訓練棟である。
 既に日は傾きかけており、今日の訓練そのものは終わった。が、リシャールが一度退勤してから再びここに来た理由は、捜し人がどうやらここにいるらしいという証言を得たからだったのだが。
「えーと、もしかしてなんですけど騎士長も団長を捜して?」
「まあな」
 答えながら肩を竦めるゼディアは、流れるように彼の隣を見遣った。
「ちなみにアランもだ」
「二人一緒だからそうかなとは思いましたけど、それにしたって」
「思考回路が完全に一致しているあたり、騎士団としては上意下達が通りやすくて素晴らしいことだが一般生活の動きとしては微妙だな。色々あればまだ具合に合わせて選べるだろうに、同じものばかり大量にあっても却って拷問に近いかもしれん」
「てことはやっぱりそれ、団長への差し入れなんですね」
「そりゃあな。まさかルーク様があんな、兄弟喧嘩からの中央棟会議室大破の立会人になっただなんて聞いたらこうなるだろ」
 どう考えても我らが団長の胃は限界のはずだ。
 そう結んだゼディア騎士長は、やれやれとでも言いたげにため息を吐いた。

 俎上に上がっているのは、つい先日の出来事だ。

 アルバリーク帝国の中心であるこの宮廷、中でも最高の警備体制が敷かれている中央棟。そこにかけられている不可視の術が真正面から暴かれた挙句、厳重な警備と格を誇る最上位ランクの会議室までもが大破した。
 前代未聞の事件であり、その知らせは即日でこの宮廷内を駆け巡った。
 第一報を事務所で聞いたリシャールも耳を疑った。一体どんな賊が入り込んでそんなことになったのか、甚だ見当もつかなかった。
 もしかすると、早々に第一騎士団が動くことになるか。
 そんな予感にリシャールの身は自然と引き締まった。
 最初の知らせでは犯人が確保されたという情報は入っていなかった。あの中央棟の警備を真正面から突破し、あまつさえ内部破壊に及んだ人間である。相当な手練れであることが窺い知れたし、そういう人間であるならば今尚宮廷内を逃走中という恐れも否定できなかった。
 そうなってくると、探索任務を主とするリシャールたち第一騎士団に応援要請が入るのは必至だ。
 ざわつく事務所の中、不在だった団長のルカウスに代わって緊急招集指示を出したのが、ゼディア騎士長だった。
 そうして厳戒態勢を敷いた第一騎士団だったのだが、一時間後にそれは解かれた。戻ってきたルカウスから語られた顛末が、それはもう本当にどうしようもない――というか、しょうもない内容だったからである。
 結局賊でもなんでもなく、いつもどおりの宮廷騎士団長イアンセルバートと第四騎士団長アークレスターヴの兄弟喧嘩が原因だったのだ。
 ただし今回に限っては小競り合いではなく、かなり本気のぶつかり合いだったというから、これには騎士長ゼディアを始めとしてリシャールや他の騎士たちも大いに驚かされた。

「俺、あの日本気で自分の耳疑いましたもんね。サーペントの不可視ぶっ壊すとか、スヴェント大魔術士が錯乱したのかと思いましたし」
 有り体に言って、まじで狂ってる。
 リシャールは憚らずそう思ったし、他の人間も同様のはずだ。それを裏付けるかのように、ゼディアも「あれはなあ」と目を眇めた。
「俺としてはエイセル騎士長に同情しかなかった」
「あー……確かに。てかエイセル騎士長はエイセル騎士長でやばくないですか? サーペント目の前にして気合で堪えるとか普通できませんって。俺なら一瞬で気絶する自信ありますけど」
「相当な圧迫と威圧だったらしいからな。だがまあ、熾火同士の範囲攻撃射程内に比べれば……」
 皆まで言わず、ゼディアが肩を竦める。
 想像するのも嫌すぎるそれに、リシャールも乾いた笑いを漏らすしかなかった。
「サーペントが気絶なら、こっちは生死に関わりますからね……」
 それこそ下級騎士があの場にいたなら、一瞬のことに防御壁も間に合わなかっただろう。
 返す返すも、たまたまそこに居合わせたのが騎士団長たちと歴代最強の近衛騎士長であったからこそ、瞬時に展開された防御壁が堅固で帯同されていた首席楽士が無傷で済んだし、会議室の大破で済んだ。そうでなければ中央棟の半分が消し飛んでいてもおかしくなかったのだ。

 ともあれ、そういう規模の兄弟喧嘩――というか、甥っ子たちの喧嘩に巻き込まれた叔父ルカウスの繊細な胃は割と限界に達していて、今日も終日体調が芳しくなさそうだったのである。

 それを間近で見ていたリシャールは、帝都に新しくできたと評判のペルタ屋に行ってきた。
 アルバリークで主食として地位を確立しているペルタは、歯応えのある固焼きが多い。ところがその新しい店で扱っているペルタは厚みがあってふわふわと柔らかく、溶けるように口当たりが良くて食べやすい、と人気を博しているという。
 そのペルタ屋は、デーア神殿が出資元らしい。
 帝都における平民や貧民に対しての治癒院の役割を持つ神殿が、同じ敷地内にある南の恩賜庭園で栽培される様々な薬草を使い、帝都民の健康促進を目的として多種多様なペルタを焼き上げ格安で売っているのだ。
 この話は、第一騎士団に来てくれている楽士たちから聞いた。
 普段はあまり市井には出ていかない彼らも、デーア神殿絡みと聞いて名目が立ったらしい。そして、例えば夜遅くに食べても入眠しやすくなるペルタだとか、疲れている時に滋養強壮に良いペルタだとかを実際に食べてみて、効果を実感したという。
 聞いた時にはよくある雑談として「へえすごいな」程度の感想だったが、今回の騒動でお見舞いに丁度良いかもしれない、と思い立ったのだ。
 それがまさか、同日に同じことを考えた人間が三人もいるとは思いもしなかったが。
「ところで俺は消化に負担かけない病み上がり用のペルタ買ったんですけど、騎士長とアランは?」
「同じく」
「同じです」
「ああーやっぱり……」
 見舞い品の種類から味まで逐一被っている。
 微妙な表情で顔を見合わせつつも、とりあえずリシャールたちは訓練棟内の首席楽士部屋へと赴いた。
 それから程なくして、見慣れた部屋の前に辿り着く。
 開け放たれていると思われた扉はしかし、ほんの僅かの隙間が開いているだけだった。ゼディアが扉に手をかける。が、彼の動きがそこで止まった。窺うように投げかける視線は鋭い。
 その様子を見て、思わずリシャールは隣にいたアランと顔を見合わせた。
 何事だろうか。鬼気迫る様子のゼディアに対しリシャールが呼びかけると、彼は空いている方の人差し指を口元に立てた。それから音を立てずに手招きする。リシャールとアランは誘われるがままに扉に身を寄せ、そっと耳を寄せた。
 隙間からは奥は見えない。
 手前にある開け放たれた窓から入る風が、緩やかにレースのカーテンを揺らしている。そして、鈴の鳴るような優しい笑い声が漏れ聞こえてきた。

*     *     *     *

『ふふ、それであなたはどうしたの?』
『どうもこうもあるか。私はイアンに言ったぞ、身元不明を理由に楽士を糾弾するなどそれはさすがに越権行為だとな。まったく、いくらアークが心配だからとて帝国典範に真正面から反する行為だ。自由を謳うアルバリークが泣くわ』
『そうですねえ。思い込んだら一直線なところは昔から変わりませんねえ』
『毎度付き合わされる私の身にもなってみろ。これが兄上――陛下に知れたら首が飛ぶわ』
『あら。ということは、また誤魔化したんですか?』
『兄弟喧嘩ごときで中央棟が大破しただなんて、口が裂けても言えるわけがなかろう。それに立場的にも結局その役目は私に回ってくる』
『騎士団長五人を順に並べたらまあそうなりますわね。あなたから見たら、全員甥っ子だもの』
『甥っ子か。それぞれ性格は違うが、まあ思えば皆(みな)幼い頃から変わらぬものだ』
『それは聴きたいですわね。イアンさんはどうでしたの?』
『好きな相手に前のめりすぎる』
『ふふっ。愛が大きい?』
『大きいだけならいい。あれは重いの部類だ』
『まあでも、ジュリアはしっかり受け止めてるからそこは宜しいのではなくて?』
『確かに。あれ以外にはイアンの首席楽士は務まらぬだろうなあ』
『イーディスさんはどうかしら』
『奥手だな。あまり前に出たがらないのは昔からだ。そのせいかある意味で第二騎士団全体が真面目だな、良い悪いは別として』
『口下手ですものねえ……』
『今回もイアンとアーク双方に思うところはあったようだが、結局最後までだんまりだった』
『気持ちは分からないでもないわね。結局あなたもその場で仲裁には入らなかったわけでしょう』
『違うぞアルマ。あれはな、入る隙がなかったんだ』
『あ、でもエルクさんは第四騎士団に噛みついたんでしたっけ』
『あれはな……あれも本当に変わらんな……』
『イーディスさんと同い年で正反対っていうのがまた目立ちますものねえ』
『血気盛んなのは一人で充分だというに……あいたた』
『もう、駄目ですよ無理をなさっては。ほら横になって』
『――すまんな』
『アークさんのこととなるとつい力が入って駄目ね、ルカウス――いえ、ルーク』
『からかうのはよせ』
『でも目を掛けているのは事実だもの。なんせ同じ末弟同士、ご苦労は身に沁みてお分かりでしょう』
『苦労か……どうであろうか。私には最初からお前がいてくれた。だからアークほどの苦労は私には無かったのは間違いない』
『あ、そういえばそのお話。どんな方でした? 碧空の楽士様』
『そうだったな。いやそれがなあ、……』
『……珍しいですわね? あなたが言い淀むなんて』
『ああ、いや、違ってな。どんな言葉が一番しっくりくるかと思ってな』
『ということは、もしかして素敵な方でした?』
『素敵……素敵? 素敵と言っていいのかあれは……?』
『そこで悩まれるだなんて却って想像を掻き立てられますね』
『悪い意味ではないぞ』
『分かってますよ』
『そうだな、えーと……ああ、そうだ。芯の強そうな娘だった。アークに守られるのではなくアークと肩を並べて戦うか、あるいはアークより前に出て戦いそうだ。なんせ初対面で我々にも臆さず、イアンから一度も目を逸らさなかったのだから』
『それは胆力ありますわねー。首席に相応しくて頼もしいわ』
『はっは、やはりそうか? 本当にな、アークに実に似合いだったよ。今回ばかりはイアンも手を出す相手を間違えたな』
『なんてこと。今日はお祝いだわ』
『飲むか。どうせ今日はもう上がりだ』
『もう、具合が悪くてここにいらしたのではなくて?』
『いいじゃないか。帝国の未来(さき)が明るくなった、これを喜ばずにいられるか』
『また建前ね。本当は可愛い甥っ子が幸せになれそうでただただ喜んでいるだけでしょうに』
『さあて、な。さあ、準備は私がしよう。お前は弾いてくれるか』
『はいはい。じゃあ「タルコの木陰」にしましょうか』

*     *     *     *

 談笑がふと途切れる。
 程なくして穏やかな旋律が流れてきて、三人は同時にそっと扉から耳を離した。
「――俺は決めた」
 抱えていた袋を扉の前に置きながら、ゼディア騎士長が呟いた。
 そして胸元から携帯用のペンを取り出し、袋にさらさらと「ルカウス団長へお見舞いです」と流麗な文字を書きつける。
「残りの二袋を肴に飲むぞ。二人共ついて来い」
「これで飲むんですか!?」
 紛うことなき主食を前に、ついリシャールはゼディアを二度見してしまう。声は抑えたが、言わずにはいられなかった。
 横にいたアランもさすがに仰天している。が、マイペースな騎士長はそんなものどこ吹く風だった。
「寂しい独り身同士、たまにはいいだろう」
「いや確かに俺はその枠ですけど、アランはそこに入れちゃ駄目ですよ……」
「構いませんよ。どうせ家に帰っても娘たちの会話についていけずに無言で夕食を食べているだけの面白味のない男ですから、実質独り身と変わりません」
「俺、アランは優しすぎると思うんだ」
 そもそもアランが本当に面白味のない朴念仁だったとしたら、彼は結婚できていないし娘四人という子宝にも恵まれていないのだ。
 包容力のありすぎる年上からまた一つ学びつつ、リシャールたちは足音を立てないようその場から静かに立ち去った。

 そして三人で雪崩れ込んだのは幹部宿舎棟の一階奥、第一近衛騎士長の部屋である。
 応接部屋に設えられている戸棚には様々な酒の瓶が並んでおり、明らかに日中ではなく夜の来客を想定している風情だ。適当に座っていい、という部屋主ゼディアの言葉に従い、リシャールとアランは低いテーブルを選んで腰を落ち着けた。
 酒瓶と銀杯と主食ペルタがずらりと並ぶ。
 どこから出してきたのか、ゼディアが乾燥させた肉やら木の実やらを両手に抱えて持ってきて、男三人の酒宴が始まった。
「そういやさっきの書き置きで思ったんですけど、騎士長でもあそこはルカウス様なんですね」
 袋に直書きされた簡潔な文を頭に浮かべつつ、リシャールはゼディアを見た。
 すると騎士長は至極真面目な顔で「当たり前だ」と即答する。
「ご本人に対して直接ルーク様呼びが許されるのはお一人だけだぞ」
「裏では皆めちゃくちゃ呼んでますけどね……騎士長だって」
「そりゃまあ愛称なわけだしな。ただしいいか、あくまでも俺たちのは非公式だ」
「ていうかその噂ってやっぱり本当なんですか? 兄上の皇帝陛下でさえルーク様ではなくてルカウス様呼びって」
「あー……面白いことにそれは事実だ」
「なんでって訊いてもいいやつですかそれ」
 不敬罪で首が飛びそうなら引っ込めますけど、とリシャールが窺うと、意外や意外、ゼディア騎士長が「そう思って皆踏み込んでこないんだよなあ」と笑った。
「あれはなー、呼んだ時の反応が全然違うんだよ。だから皆察して愛称呼びを辞退というか、自重した形だな」
 実際には、第一騎士団長ルカウスは隷下騎士や楽士などから愛称で呼ばれることにさして抵抗を見せていなかった。というより、本人にそこまで思い入れがなかった。結局のところ、ルカウスもルークも長さとしては大差なかったからだ。
 どちらで呼んでも、第一騎士団長ルカウスから真面目な視線が返ってくるのは一緒。
 しかし最初に気付いたのは誰だったか、とある人物だけは必ず穏やかな笑顔を向けられていると、ある時宮廷内でちょっとした盛り上がりを見せたことがあった。
「それがまだ専属契約前のアルマ様だったんだよな」
「えっ、てことはまさか団長の方から先に惚れたんですか!?」
「いやーそこが微妙でな?」
 確かに第一騎士団長ルカウスは、楽士アルマ・アーステラに呼びかけられる時だけ固く引き締まった頬を緩めた。

 だがそれだけ。

 やがて親密さが上がるかと思いきや、その様子は全くない。ちなみにその状態がしばらく続いた後、皇帝陛下から「してどうなのだ」と訊かれた時も、ルカウスは至極真面目な顔で「大変良い補給をしてもらっています」とクソがつくほど真面目な返事で終わらせた。
 他の誰が訊いても結果は同じ。
 ルカウス自身はアルマに対してだけ笑顔が浮かんでいることに毛ほども自覚が無かったし、全くもって話にならない状態だった。
 このままではなにも進まず退役を迎えてしまう。
 そんな危惧を抱いた皇帝陛下が、とある合議の場で零したのだ。「私は今後あれをルカウスとだけ呼ぶことにする」と。それは他の人間に対して強要されたわけでは勿論ないのだが、最終的に周囲はその空気を読んだ。

 そこまでを立て板に水のごとく喋ったゼディアは、興が乗ったのか銀杯を一息に飲み干した。
「鈍感力高いルーク様も、愛称呼びが一人だけならさすがに自覚するだろうって読みだったらしいが」
 それが見事に功を奏して早幾年。
 既にその必要は無くなったのだが、未だにかつての暗黙の了解を周囲は守り、当時を知らない若い世代も今尚空気を読み、そして歴史は繰り返すのだ。
 第一騎士団長ルカウスは実直な人柄で尊敬され愛されているにもかかわらず、ルカウス様と呼ばれ続ける。たった一人、隣に立つ専属楽士アルマからの呼びかけを除いて。





終わり

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2026年6月23日